学年通信

【No.811】

 

学年通信に以下のことを書いた。

 

「普通」って何だろう。

 

「片山学園生らしい姿で…。」「先輩らしい姿で…。」などと言われることがあるかと思います。「◯◯らしい」という言葉の裏にはある一定の基準があり、「このくらいは普通にできるようになろう」という意味が含まれているようにおもいます。もちろん、この言葉がその集団の団結力を高め、ある種の達成感・安心感・所属感などを感じるというプラスの側面があります。

しかし、「このくらい普通でしょ」という視線や言動が辛くのしかかってきて、窮屈な生活を送らなければならない人が出てくるというマイナスの側面も同時に生まれる可能性があります。

 

①数学のテストで60点以上取るのが「普通」なのだろうか

②バレーボールの試合でレシーブができるのは「普通」なのだろうか

③週課題や定期考査課題を出すのは「普通」なのだろうか

④教室でみんなと一緒に授業を受けるのは「普通」なのだろうか

⑤発表のときに人を引きつけるような話をするのは「普通」なのだろうか

⑥真面目に清掃をするのは「普通」なのだろうか

 

例を6つ挙げてみました。①が「普通」、②が「普通」でない人がいるのではないでしょうか。またその他も同様です。ある一方的な見方だけで人の優劣をつけて、優越感や劣等感を感じる必要はありません。すべてのことを超一流にできる人はこの世に存在しません。大人でも子どもでも得意なことで周りに貢献し、苦手なことは人の助けを借ります。これが「普通」でない世の中は恐ろしいです。知識・技術面であれば何に困っているのか共有し、解決策を考えてみるとよいです。精神的な面であれば、声や表情で心の支えになってみるとよいです。みんなで支え合っていけば、次のレベルの「普通」が見えてきます。そうやって支え、高め合っていきましょう。