【No.1003】
今日は在宅勤務をした。
通勤時間が無いため、(当たり前だが)勤務時間が終わるともう家にいる。
ものすごく有意義な時間が生まれたような気がした。
すぐに夕飯を作り、食べ終わってもまだ18時台。
今日は兼ねてからやってみたかった家で焚き火の映像を観ながらのんびりした。
映像はとても綺麗で、音もパチパチと響く。
あたかも目の前でやっているような感覚に陥る。
目を瞑ると外の空気感やにおいまで想像できる。
またやろうと思う。
でも、これは「本物」を知っているからそんな感覚になれるのだろう。
今は何でもすぐに情報が手に入る。
映像やそのものの特徴、五感の情報に至るまで調べれば出てくるものがほとんどである。
この情報を得たことによって「わかった」になるのだろうかとふと感じた。
実際に本物を扱う肌感覚って大事であるのでは無いだろうか。
学校再開に向けて、この「肌感覚」の感度を上げるには、学校教育として何ができるのかが問われているのだと考えている。
数学であれば式を解くだけでなく操作活動をしてみたり、仲間とよりよい解答を追究したりしながら感度を磨いていく。
もっと広く捉えれば「人とのつながり方を通して自分を見つめること」が重要だろう。
人とつながることはときにとても面倒だし、厄介である。
しかし、これに向き合い成長していくことが学校教育に求められていることなのだと思う。
やはり学校は「人格の完成」を目指す場である。