事実は一つ、解釈は無数にある。

【No.7】

 

自分はここ数年、周りの人から「落ち込むことってあるんですか」と聞かれることが多い。

あまり悩まず、楽観的に見えているのだろうか。

 

振り返ってみると、「失敗を失敗だと思わない。すぐに改善点を見つけ、教訓として心に留めておく。」ことが習慣化されている。

例えば、この1学期だと家の鍵を学校に忘れて家に帰ったことがある。ものすごい時間の無駄遣いをした。家のドアの前で鍵がないことに気づいた瞬間は「うわー最悪。」と思ったが、取りに帰る車の中では、「どうすると同じミスが起きないか」をいつの間にか考えていた。

そして、「鍵を置く場所」と「学校を出る前に確認すること」を決めて、1か月以上実践している。今のところ同じ失敗はない。

 

失敗に対しての向き合い方で、心のエネルギーが大きく変化する。

事実は一つだが、解釈は無数にある。

落ち込んで「うつ」になるくらいならば、まずは自分にとって都合のよい解釈をしてみればよいと思う。心でどう思おうが、その人の自由である。

そして、それが今後の自分の人生、周りの人の人生にとって有益になるように行動を選択するとよいのではないか。

 

でも、できれば「失敗をしたくない」気持ちは多くの人にあるのだろう。

例えば、受験。

自分は高校や大学の名前でその人の能力、人柄、人生が決まるわけではないと思っている。

学歴が高いことが社会に出て成功が保証されているわけではない。

しかし、「学歴」のしがらみで苦しみ、もがいている人もたくさんいる。そんな人も救いたい。

 

教師個人としてできることは、気持ちに寄り添い、これからの行動の選択肢を与え、意思決定を見届けることのように思う。

もう少し言うと、「お互いに気持ちに寄り添い、これからの行動の選択肢を考え、よりよいものに高める。個人が意思決定したものを認め合い、励まし合う集団」にすることのように思う。

足りない、自分たちでは解決できないことに対して新たな視点、考え方を与えるようにする。

 

『学び合い』が本当の力を発揮するのは、学活での『学び合い』だと思っている。

学活でも『学び合い』はやれるではなく、学活でこそ『学び合い』の考え方を生かすべきだと考えている。