既存の枠組みを越えて

【No.840】

 

昨日は一足先に学校の忘年会が行われた。

 

席は完全にくじである。

 

たまたま若い教員の近くになった。

 

「育てたい」というのはおこがましいが、何か伝えられるものがあればよいなと思っていた人である。

 

まずはこれまでの学校での様子を聞く。

 

「授業に専念できるように分掌はあまり当たっていない。だから、授業を何とか形にしようと頑張ってきたようである。」

 

頼もしいなと思ったのは「その教員のある先輩教員からの話をどのような構えで聞いているか」である。

 

気を利かせてやっているのだろうけれど、正直「先輩風吹かしているなあ」と思い、若い先生によい影響を与えているのだろうかと不安に思っていた。

 

しかし、「話半分ににこにこしながら聞いてるんで大丈夫です。」とキッパリ答える。

 

心優しくて色んな人の言葉が重荷にならないかと心配していたが、どうもその心配は必要なさそうである。

 

これは他の若い教員でも同じようなことを話しているのを聞いた。

 

先輩を敬っていないわけではないが、必要不必要は自分で判断することが当たり前なのであろう。

 

自分が20代前半のときは口が裂けても「話半分で聞いているんで」なんて言えなかった。(というよりも話半分で聞いたらもったいないことをたくさん教えてもらっていたからかもしれないが)

 

それを言ってのける世代である。

 

肌感覚で10年くらいの間が空くと「世代間ギャップ」というもの感じることはあったが、これからは5年ほど(もしかするともっと短くなる)でそのギャップを感じるようになるのだろう。

 

学校の教員も「(よくいえば)多様性」が当たり前になる。

 

今までの当たり前が通用しない先輩・後輩関係、上司・部下関係にもなる。

 

これは「学級」「学年」の枠組みを越えた教育活動を仕掛け、学生のうちから「社会において年齢に関係なく自立した人間」を育てていく必要がある。

 

「先輩だから」「3年生として」の声かけから、「自分のあるべき姿は何か」「この状況でできるベストなことは何だろう」など問いかけることが自立した人間を育てていくことにつながると考えている。